ウイスキー竹鶴とは。終売の背景と竹鶴氏・ニッカウヰスキーについても解説。

つい先日、国産の人気ウイスキー、竹鶴の17年、21年、25年の3月末での終売が発表されました。
また、ノンエイジの竹鶴も同時期にリニューアルされるそうです。

今回は、人気がありながら終売が決定されたウイスキー竹鶴と終売の背景、そして製造メーカーであるニッカウヰスキーや創業者の竹鶴政孝氏についてもお話ししていきたいと思います。

竹鶴とは

竹鶴はニッカウヰスキーが「ブレンデッドウイスキーのように飲みやすいピュアモルトウイスキー」を目標に開発・製造したジャパニーズウイスキーです。

ウイスキーの名前でもある"竹鶴"は、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏からとられており、ニッカウヰスキーはもとより日本を代表するウイスキーの一つとなっています。

●ピュアモルトとは。シングルモルトとの違いは?

竹鶴のラベルには"竹鶴"の文字の下に大きく【PURE MALT】と表記されています。
ピュアモルトとは、原料にモルト(大麦麦芽)のみを使用したウイスキーを指します。

シングルモルトとの違いは、シングルモルトは一つの蒸留所(シングル)で製造されたウイスキーのみで瓶詰されているのに対して、ピュアモルトは、複数の蒸留所で作られたモルトウイスキーをブレンドして作られています。

複数の蒸留所のウイスキーを混ぜてますが、100%モルトなので【ピュアモルト】というわけです。

竹鶴については、北海道の余市蒸留所、宮崎県の宮城峡蒸留所などのモルトウイスキーがブレンドされていると言われてます。
(はっきりとは公表されていません)

世界的には、現在はピュアモルトウイスキーではなく、"ブレンデッドモルトウイスキー"と言われることが一般的となっており、そのほか"ヴァッテッドモルトウイスキー"と言われることもあります。

●竹鶴の味・特徴

「ブレンデッドウイスキーのように飲みやすいピュアモルトウイスキー」という開発目標の通り、アルコールの角が少なく、ほのかな果実の風味を感じ、雑味などもなくすっきりと飲みやすくそして華やかさのあるウイスキーとなっています。

当店では、ウイスキーに飲み慣れていない方で、でもウイスキーに興味を持たれている方にもよくお勧めしています。
じゃあ、ウイスキーに飲み慣れた人は満足出来ないかというと、そんなことはなく、飲みやすいながらも余市の特徴でもある力強さと、 宮城峡の特徴である、果実の風味がある華やかさが絶妙なバランスでうまくブレンドされており感心していただけると思います。

複数の蒸留所のウイスキーを混ぜる事で、アルコールの角が少なくなり、まろやかになる事が活かされた"ピュアモルト"らしい風味とも言えます。

●竹鶴終売の背景

終売の理由は、"原酒の在庫不足"と発表されています。
原酒不足、つまりは人気が出てきて、生産が追い付かないため、販売が出来なくなってしまったわけです。

人気が出てきた理由としては

  • 国際的賞の受賞などで、海外でのジャパニーズウイスキーの需要が増えている
  • NHKの朝ドラ「マッサン」により国内需要も高まる

といったことが重なり、この数年急激に人気が出てきました。
私も一昨年、余市蒸留所に見学に行った際、平日にもかかわらず人が多く、中でも中国の方が非常に多く来られていた事に驚いたのを覚えています。

では、すぐに生産量を増やして販売すればいいじゃないか、というとそう簡単でもなく、難しい経営判断が迫られます。
主な課題として以下の2点があげられます。

・生産量の増強には大きな投資が必要

ウイスキーを作るには、糖化・アルコール発酵・蒸留といった複雑な工程があり、それぞれに大掛かりな設備が必要となります。
これらを新たに増やすには、多大な資金と時間がかかります。

・ウイスキー作りには莫大な時間がかかる

ウイスキーの蒸留までが出来たとして、ウイスキーはそこからさらに樽に詰めて熟成を行います。
この熟成期間がそのまま商品名に"17年"や"21年"と入りますが、逆に言うと竹鶴17年は、最低でも17年の熟成が必要になるわけです。

これら二つの理由により、ウイスキー作りには、10年後、20年後の需要を予測しながら今、大きな投資をするかどうかという非常に難しい経営判断が必要となります。

莫大な投資を行い、労力と時間をかけて生産能力を増やしたとして、販売される10年後20年後に今以上に需要が無ければ、その投資は無駄となり、場合によっては会社の存続危機にもなってしまいます。

現在の原酒不足も、ここ数年の急激な人気上昇によるもので、竹鶴の販売が開始された20年ほど前(2000年)には今のような状況を論理的に予測できた人はいないのではないでしょうか。

現在、ニッカウヰスキーは生産設備の増強をすすめていますが、この増強により作られたウイスキーが世に出るのはまだ先となると考えられます。

ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏とは

竹鶴政孝氏は"日本のウイスキーの父"とも呼ばれ、日本で純国産ウイスキー作りを定着させた功労者でもあります。

1894年6月20日、広島県の酒造業を営む家の三男として生まれました。

竹鶴氏は、大阪高等工業学校(現大阪大学)の醸造科で学び、大阪府内の摂津酒造(その後、宝酒造と合併)に入社し、洋酒部門に配属されました。
当時、日本では純国産のウイスキーは作られておらずノウハウも無かった事から、会社の命で、スコットランドにウイスキー作りを学ぶため留学。

帰国後、摂津酒造にて純国産のウイスキー作りを始めようとしましたが、会社の資金難により純国産ウイスキー作りは叶わず1922年に退社しました。

退社後、一時期は化学の教師となっていましたが、1923年、洋酒の製造販売をしている寿屋(現サントリー)が国産ウイスキーの製造を企画した際、スコットランドでウイスキー作りを学んでいた竹鶴氏を招きいれました。

竹鶴氏は、山崎蒸留所の初代所長になるなどウイスキー作りに励む一方、後輩技師の教育にも尽力し1933年寿屋を退社、1934年に自ら大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を設立しました。

ニッカウヰスキーとは

竹鶴政孝氏は、寿屋を退社後、自分がウイスキー作りを学んだスコットランドと気候が近い北海道余市で、大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を創業しました。

大日本果汁の由来は、ウイスキー作りには、生産開始から販売まで少なくとも数年はかかるため、それまでの間、地元余市の特産であったリンゴをつかったジュースなどを生産販売していたため、"大日本果汁"という社名となりました。

1940年には、ウイスキーの販売を開始。このウイスキーの名前を、リンゴジュースの商品名に『日果』としていたことから、『ニッカウヰスキー』と名付けました。
1952年には、社名もニッカウヰスキーに変更されました。

ちなみに、社名に入る"ヰ"は、ウイスキー作りには水が欠かせない事から漢字の井戸の"井"を使おうとしたが、当時カタカナと漢字を合わせた社名は登記ができなかったため、見た目が似ていてカタカナとして使われていた"ヰ"を使用したそうです。

その後、ニッカウヰスキーは多くのウイスキーを世に出し続け、1979年創業者である竹鶴氏はこの世を去りますが、その意思を受けついだ後輩技師たちによって2000年にウイスキーの竹鶴が販売されました。

最後に

ここまでウイスキー竹鶴と、その名前の由来となった竹鶴政孝氏、製造メーカーのニッカウヰスキーについてお話してきました。

竹鶴というウイスキーには、日本のウイスキーの歴史とも言える多くの背景が詰まっていることがわかっていただけたのではないでしょうか。

また、純粋に味を楽しむという意味でも、飲みやすく優しい華やかさがあり、バランスが良くすばらしいウイスキーであると感じさせてくれます。

素晴らしいウイスキーだからこそ、そのレベルに達さないものを販売するわけにもいかず、ニッカウヰスキーにとっても苦渋の判断だったと思いますが、今回終売という残念なニュースが発表されました。
当店でも、おそらく今残っている17年、21年がいったん最後になると思います。

ノンエイジの竹鶴についても、リニューアルということでいくらか中身が変わる可能性がありますが、おそらく竹鶴という名前に負けない素晴らしいものを販売し続けてくれると信じています。

いつの日か、また素晴らしくなった17年や21年に出会える日を楽しみにしながら、竹鶴を飲み続けたいと思います。

この時期しか出来ない楽しみ方としては、ノンエイジの新旧飲み比べなんてのも面白いのではないでしょうか!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA